- 1912年(大正元年)10月3日、東京・原宿に生まれる。
成蹊中学・同高校に進むが、音楽への道をあきらめきれず、東洋音楽学校(現東京音大)に転入。
- 1934年(昭和9年)、ピアノ科を主席で卒業し、藤原義江のピアノ伴奏等で修業を重ねる。
同年、SKDスター江戸川蘭子の歌、作詞、作曲による「春の謳歌」でデビューをはたす。
- 1936年(昭和11年)、ポリドールレコードの廉価盤だったコロナレコードのピアノの伴奏者となる
が、コロナレコードが成功したことから、専属作曲家となる。
- 1942年(昭和17年)、高峰秀子の歌で「森の水車」を発売するが、当時の軍部によって、敵性歌謡
と見なされ、発売禁止となる。
- 1944年(昭和19年)、満州国に渡り、中央放送局勤務となる。
- 1945年(昭和20年)、敗戦と同時にシベリアに抑留され、翌年12月に帰国。
- 1948年(昭和23年)、近江俊郎歌唱で「山小屋の灯」がNHKラジオ歌謡で大ヒット
となる。
- この作品に続いて、近江「南の薔薇」、荒井恵子「森の水車」などヒットが続き、著名作曲家となる。
その後、コロムビアレコード専属作家となり、美空ひばりと出会う。
「リンゴ追分」「花笠道中」「車屋さん」「津軽のふるさと」等、ひばりのヒットを数多く作曲する。
また、ひばりの出演する映画を始め、映画音楽を数多く手掛けたのも、この前後である。
コマーシャルソングでは、ヤンマーディーゼルの「ヤン坊マー坊の歌」を手掛け、ロングランとなる。
- 1963年(昭和38年)、クラウンレコード創立時に同社に移籍し、水前寺清子「三百六十五歩のマーチ」、美樹克彦
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「花はおそかった」、西郷輝彦「初恋によろしく」など多くのヒットを放った。
特に「三百六十五歩のマーチ」は、昭和44年度の春の選抜高校野球大会の入場行進曲にも選ばれた。
- 1981年(昭和56年)、紫綬褒章を受賞。
- 1985年(昭和60年)、糖尿病から肺炎を併発し、2月22日死去した。72歳だった。
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